太宰は、昭和15年の11月に、旧制新潟高校で講演を行っています。その慣れない講演の体験を、新潟の学生とのやり取りを交えてユーモラスに描いた短編が「みみずく通信」。この短編の終わりに、彼は、
「あしたお天気だったら、佐渡ヶ島に行ってみるつもりです。佐渡へは前から行ってみたいと思っていました。こんど新潟高校から招待せられ、出かけて来たのも、実は、佐渡へ、ついでに立ち寄ってみたい下心があったからでした。」
と記しています。何故、彼が佐渡に惹かれたのかは、佐渡の紀行文、「佐渡」の冒頭、
「佐渡は、淋(さび)しいところだと聞いている。死ぬほど淋しいところだと聞いている。前から、気がかりになっていたのである。私には天国よりも、地獄のほうが気にかかる。(中略)私は、たいへんおセンチなのかも知れない。死ぬほど淋しいところ。それが、よかった。お恥ずかしい事である。」
とあります。
淋しいところ、多いに結構。ソロツーリング派の私向きの場所かもしれない。日常から遠く遠く逃避したかった私も、いつの間にか心のコンパスが佐渡の方に向いていました。
2005年5月5日朝7時に自宅を出て、関越をひたすら北へ向かう。谷川岳のあたりは、まだ雪が溶け残っていて、散りかけた桜とともに、春の余韻を残していました。ペースは順調で、午後1時には寺泊の港に着いて、お昼を食べたり、お風呂に入ったり、公園のベンチで昼寝をしながら、フェリーを待つ。そんな私は誰が見ても旅人に見えるはず。初めてのフェリーを使ってのツーリングに、期待に胸が高鳴ります。
フェリーでは、福島から来たライダーさんと知り合い、お互いのツーリング計画など話しながら、楽しい道中となりました。
そうして、夕陽の彼方、佐渡が見えてきました。
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フェリーはゆっくりと赤泊の港へ。この日はここの旅籠に一泊しました。素朴なもてなしがとってもいい感じ。値段も安かったが、値段に釣り合わない豪華な食事!佐渡の海の幸の味覚を上陸してすぐに堪能できました。
翌朝、赤泊を散歩してみる。なんだか、津軽の漁村に雰囲気が近い。太宰に言わせると、「旅人を歓迎する訳でもなく、ちゃっかり生活しちゃってる。」風景。
ありのままの、人の営み。これほど絵になるものだとは思わなかった。夢中でシャッター切ってる自分がいました。
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朝食も済ませて、宿の女将さんに暖かく見送られ、佐渡一周をスタート。赤泊を起点に、右回りに佐渡の形を描く事にする。
天気もよい。道も空いている。ちょっと走るごとに、嘘のように穏やかな日本海と、奇怪な形の岩で構成される風景に足を止めてしまいます。
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地図上では佐渡の北端、この辺に来ると道も一部狭く、日本海からの風も荒々しくなり、いよいよ佐渡らしくなってくる。雄大な二ツ亀の光景を目の当たりにしたら、もう感無量でした。「わたしは、とうとう佐渡を見てしまったのだ。」これは私のセリフ。精々がとこ相川の街を見たくらいで言ってはいけないよ、修治さん。桜桃忌には、この、本当の佐渡の風景の写真を墓前に供えてあげたい。
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二ツ亀をあとにしてからは、内海府海岸沿いに南下し、佐渡の表玄関、両津市に至ります。ツーリングに欠かせない楽しみのひとつ、温泉と、能楽を初心者にも解りやすく解説してくれる施設が併設された、道の駅に立ち寄りました。
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温泉も、食事も、なんちゃって能楽も堪能し、海岸線に戻って、佐渡一周の後半戦。道はずいぶん走りやすく、ついハイペースになりがちだが、まだまだこれでもかと現れる、佐渡の佐渡足らしめる光景が、ときおりアクセルを緩めてくれる。
そうこうしているうちに、赤泊に戻ってきた。一周277キロ。東京23区の1.5倍と言うけれど、意外と一周、あっという間でした。羽茂町の「クアテルメ佐渡」なる温泉施設でもう一風呂浴びて、今夜の宿がある小木の港へ。翌日はここから直江津行きのフェリーで本土に戻ります。
なんだ、この胸一杯の充実感!ホテルの窓から小木の港の明かりを見ながら、いつまでも余韻に浸っていました。
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太宰は短編「佐渡」の中で、佐渡は淋しい、何も無い、黒いつまらぬ島、なんの興も無い、少しも気持ちが、はずまない。などと、散々書いていて、私はこれを読む度に、「本当にそうなんだろうか。」と懐疑的でした。
ニュアンスは違うかもしれないが、都会の周辺の「ようこそいらっしゃいました」的な観光地とは確かに違っていて、旅行者を熱烈歓迎の姿勢はそれほどなくて、太宰の言うところの、「佐渡は、生活しています。」という、つつましいものでした。私はむしろ、それを心地よいものに感じました。
太宰は、そのつつましさを自分の今後の生き方と決め、佐渡の原風景に自分の心象風景を写して、その風景をして、自分の決意を語らせていたような気がします。なにも佐渡のことを否定していた訳ではない。佐渡その地で、再びその短編を読んでみると、それはそれで、何か佐渡の雰囲気のような気がしました。この目で見ている佐渡と、太宰の「佐渡」を通してみる佐渡、私にとってはどちらも果たして、佐渡でした。とってもアンビヴァレントなのですが。
私は素直に、佐渡を見ることが出来てよかったと思います。

 
宿へ帰ったのは、八時すぎだった。私は再び、さむらいの姿勢にかえって、女中さんに蒲団(ふとん)をひかせ、すぐに寝た。明朝は、相川へ行ってみるつもりである。夜半、ふと眼がさめた。ああ、佐渡だ、と思った。波の音が、どぶんどぶんと聞える。遠い孤島の宿屋に、いま寝ているのだという感じがはっきり来た。眼が冴(さ)えてしまって、なかなか眠られなかった。謂(い)わば、「死ぬほど淋しいところ」の酷烈(こくれつ)な孤独感をやっと捕えた。おいしいものではなかった。やりきれないものであった。けれども、これが欲しくて佐渡までやって来たのではないか。うんと味わえ。もっと味わえ。床の中で、眼をはっきり開いて、さまざまの事を考えた。自分の醜さを、捨てずに育てて行くより他は、無いと思った。

「佐渡」太宰治

GWの盛りなのに、どこもそれほど混んでなくて、東京23区の1.5倍とという大きさの中に沢山の表情を持っていて、海の幸もうまい。温泉も沢山ある。フェリーで2時間だけど、十分本土か脱出した気分が味わえる。
ライダーの皆さん、佐渡は穴場のツーリングポイントだと思いますよ。
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