01-14 伊勢志摩(07GWその1)
東京ミッドタウン、新丸ビルなどなど、都会では新しい建築物がにょきにょきと生えてきて、都会はいっそう、建築の博覧会と化していますが、そういった現代建築を見ると、私はたいした感動も覚えずに、むしろ尚更古い建築物が観たくなってきます。生まれてからずっと生まれたままであることを宿命づけられたクリーンな建築群に、ちょっと辟易した私は、この年のツーリングのテーマを日本の伝統的な建築を廻る旅と決めました。前回の会津のさざえ堂に引き続き、このゴールデンウィークは、ちょっと欲張って、「せめて一生に一度でも」と言われる、伊勢神宮、そして、世界人類のたからもの、岐阜の白川郷と廻って参りました。まずは前半戦、伊勢、志摩廻りをご紹介します。

5月3日、快晴。早朝に出発して、まずは最初の寄り道ポイント、御前崎を目指して、ひたすら東名を西に向かいます。焼津の先、吉田ICで東名を降り、海沿いの国道150号を快走。

午前8時30分、御前崎に到着しました。静岡最南端の岬、というモニュメントが。ここも、水平線がアーチ状に見えて、地球が丸いんだということを実感させてくれます。 灯台の下を通る、県道357。とっても気持ちがいいシーサイドラインでした。
日本中、どの場所で見ても、やっぱり海っていいよね。遠州の唐っ風が気持ちいい。 こちらが、御前崎灯台。映画、「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台にもなりました。歴史的価値のある灯台で、日本の灯台50選にも選ばれています。 こどもの日が目前だったので、灯台には鯉のぼりが掲げられておりました。遠州の唐っ風に吹かれて、優雅に泳ぐ。
御前崎を後にして、遠州灘沿いを延々と走る。この辺はウミガメの産卵地です。 遠州大砂丘。唐っ風が刻んだ風紋。 浜辺に咲いていた花。多分、ハマエンドウだと思います。
遠州灘沿いを国道150号、国道1号と繋いで、ひたすら西へ。静岡は広いなあ。ようやく浜名湖は弁天島が見えて参りました。丁度お昼時だし、浜名湖と言ったら、あれを食べないとね。 弁天島を過ぎて、国道1号沿いに、大きな浜名湖料理のお店があり、吸い寄せられるように入りました。「浜名湖料理はませい」 ひまつぶしにひつまぶしをオーダー…。実はひつまぶしを食べるのはこれが始めて。どうやって食べたらいいか、しばし悩む…。まずはそのまま味わい、次に薬味をのせて頂き、最後にだし汁をかけていただく…。これを繰り返しましたが、これでいいのかな。浜名湖のうなぎ、流石に美味しかったです。
浜名湖を超えて、単調な国道42号をひたすら走って、14時30分渥美半島の西の端、伊良湖岬に到着。ここから「海の国道42」伊勢湾フェリーに乗って、三重県の鳥羽市までワープする予定でしたが、すでにライダーがいっぱいで、最終便にも乗れるかどうか解らない状況とか…。 仕方なしに、伊勢湾フェリーをあきらめ、愛知の知多半島は、師崎へ向かう名鉄フェリーに乗り込み、知多半島を名古屋方面に北上、伊勢湾岸道を使って、本日の宿泊地、津市を目指すことに変更。一人でも、「まあ、急がば回れ、だな」なんて思えるようになった自分は、一人旅の回数を重ねているうち、旅慣れしたんだな、とちょっと思う。 伊良湖岬を出航。16時ちょうど。ところで、伊良湖のフェリ−乗場は、道の駅になっています。伊良湖岬灯台とともに「恋人の聖地」と言われる、恋路ケ浜が南側にあります。これから伊勢湾をグルッと一周するハメになった私には、そんなロマンスなどどうでもいいっす。
知多半島までは35分のクルーズ。東は三河湾と知多湾、西は伊勢湾と、デッキでボンヤリしながら、見たことの無い海を一気に眺められて、「まあ、遠回りしてよかったかな」と言う気持ちになりました。 しばらく行くと、東側に、篠島などの小さな島群が見えてきます。ちょうど私はツーリングマップルを眺めていたので、回りのお客さんに、あの島はなんての?みたいな質問攻めにあいました。 遠方に見える小さな島に見える多数の黒点は、「ウ」です。佐渡編の時も書きましたが、「ウ」だなんてテキトーな名前を付けられて、奇特な鳥です。「ウ」。「ウミウ」だなんて、悪のりもいいとこ。
さて、知多半島は師崎(もろざき)港が見えて参りました。いい感じで、日も傾き始めました。なかなか旅情のありそうな半島なのに、時間がなくてただただ走るだけになってしまうのも、残念です。 知多半島の東側、国道247をひたすら名古屋方面に北上していきます。目指すは伊勢湾岸道の東海IC。道中、こんな素晴らしい夕陽に目を奪われる。 「天国では皆が話す。海のこと、夕陽のこと。あのバカでかい火の玉を眺めているだけで素晴らしい。海と溶け合うんだ。ろうそくの光のように一つだけが残る。心の中にな。」
大好きなドイツ映画、「Knocking on heavens door」で、ルトガー・ハウアーの演ずるギャングのボスの放つ、感動的なセリフが思い浮かんだ。
途中、常滑市近辺で、大渋滞にハマりつつも、19時前になんとか伊勢湾岸道に乗りました。伊勢湾岸道は、昨年の秋、鈴鹿GPを観に行く時に友人のクルマで始めて走りましたが、四日市あたりの工場の夜景が、それはそれは美しかったことを覚えています。刈谷ハイウェイオアシスから見えた、ナガシマスパーランドのジェットコースター。 伊勢湾岸道は、四日市で東名阪道に接続します。F1の聖地、鈴鹿を通り過ぎることになるとは。このあと、「亀山モデル」でおなじみの、亀山を通り過ぎ、関ジャンクションから伊勢自動車道に入り、津ICで高速を降りました。津駅前のビジネスホテルを予約したのですが、駐車場が無く、職員さん用駐車場を探してさまよい、結局はホテルの自動ドアの入口に停めさせてもらうことに。私のバイクが展示されてるみたいでした。 翌日は5時起床。素晴らしい朝焼け。世界で一番短い地名、「津」には、ホントに泊まるだけ、になってしまいましたが、名古屋名物と言われるもののほとんどは、ここ、津が発祥の地だということらしいです。「ウ」もそうですけど、「ツ」も、なんだか可哀想らしいわねえ。いやいや、「伊勢は津でもつ 津は伊勢でもつ 尾張名古屋は城でもつ」
伊勢自動車道を南に走り、伊勢西ICを降ります。伊勢神宮は、外宮(げぐう)と内宮(ないぐう)がありますが、正式の参拝順序は、豊受大御神(とようけおおみかみ)をお祭りする、外宮から。というわけで、朝7時、外宮に到着しました。こちらは入口の日除橋。 日除橋を渡ると、右側に「清盛楠」という、樹齢800年の楠(くすのき)が威風堂々、佇んでおります。 ちなみに、年間を通して緑の風景を保つために、花の咲く木は神宮内には一切無い、そうです。
ところどころに、このように結界が。神は万物に宿る、ということを表すのでしょうか。メイ・ザ・フォース・ビー・ウィズ・ユーみたいなもんですか。あんたジェダイか。 こちらが外宮正宮。豊受大御神が祭られています。豊受大御神は、衣食住、全てを司る産業の神様。 外宮正宮の鳥居の先は撮影禁止です。二拝二拍手一拝で拝礼します。かつて伊勢神宮では、四段拝、八開手、短手一段、一段拝という、特殊拝礼方法があったそうです。
伊勢神宮は、20年毎に正宮をはじめとする社殿を建て替えます。これを、「式年遷宮(しきねんせんぐう)」と言います。こちらが、予定地。「新御敷地(しんみしきち)」と言います。お供え物から、橋、鳥居までも新調します。次回は平成25年。持統天皇の時代から数え、62回目。1300年の歴史があるのに、現在、築14年なのです。 屋根に突き出た角のような木は、神社建築の特色である、千木(ちぎ)と言われるもの。伊勢神宮の場合は、外宮と内宮で、この千木の形が違います。内宮では内削ぎ(上辺が地面に平行)外宮は外削ぎ(上辺が地面に垂直)となっています。 正宮の回りには巨大な杉の木が。正宮は外宮も内宮も、隠れるように立っているため、その全貌を見ることが出来ません。
こちらは、「風宮(かぜのみや)」。鎌倉時代の元寇の時に、神風をおこしたとされる、風の神様をお祭りしています。 外宮を散策して感じたのですけど、伊勢神宮って、もっと厳粛なイメージのところかと思ったら、そうでもなくて、なにか優しい空気に全てが包まれているような印象でした。 外こちらは「多賀宮(たかのみや)」98段の石段を登ります。豊受大御神の荒御霊(あらみたま)を祭る。
こちらは「土宮(つちのみや)」読んで地の如く、この辺りの地主の神。 神明造の特色が解りやすい、基礎の無い掘ったて式の丸柱が並ぶ、神楽殿のそばの建築物。なんだろう。
毎日、豊受大御神にお食事を供える「日別朝夕大御ケ祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」が行われています。朝は8時、夕は16時。(10月〜3月は9時、15時) 早朝の外宮は、とっても静かでした。この後、天照大神をお祭りしている、伊勢神宮の中心、内宮へ移動します。外宮と内宮は5kmほど離れています。それにしても伊勢まで江戸から2週間かけてお参りにくるなんて、昔の人には恐れ入る。
内宮へと至る、鳥居前町、おはらい町に到着。むむう、素晴らしい!会津の七日町通りも素晴らしかったけど、こちらも鳥肌もんです。 約800m続く、この通りの特色である、妻入りの切妻造(つまいりのきりづまづくり)の建築をご覧頂きましょう。妻入り(つまいり)とは、家を上から見た時、長方形の短い辺の方に入口がある様式。(長い方に入口があるものは、平入りといいます。) 五十鈴川(いすずがわ)郵便局。景観にあわせて、ポストが黒い。
利休饅頭、という、饅頭屋さん。利休饅頭はお茶請けのスタンダード。伊勢だけではなく、全国各地にありますが、それぞれが微妙に違うそうです。知らなかった。ちなみにこのお店は、某政治事件関係者の実家。ここのお饅頭はリ○ルート饅頭とも言われるそうなり。
お伊勢さんのお土産と言ったら、やはり赤福。こちらはその本店です。まごころ(赤心)をつくすことで素直に他人の幸せを喜ぶことが出来る(慶福)という、「赤心慶福(せきしんけいふく)」という言葉が由来。内部ではペッタンペッタンと、赤福餅を作るところを見ることが出来ます。甘さ控えめのこしあん、美味しいよね〜。 赤福店内に、このような看板が。そういえば、お店の軒下に、沢山ツバメの巣があり、町中をツバメが縦横無尽の図、あちこちに見受けられました。 こちらはクスリ屋さん。明治頃の、りっぱな看板が目を引きます。
クスリ屋さんを正面から見る。このはす向かいに、赤福が運営する、「おかげ横町」という江戸末期の町並みを再現したミニテーマパークがあります。今回は時間がないのでスルー。 とっても全体感のある町並みでした。その素晴らしさに、これから内宮参りなのに、けっこう時間をつぶしてしまいました。
サルの神主さん?人気者でした。
さて、内宮の入口。正面に見えるは、宇治橋です。五十鈴川にかかる約100mの、ヒノキ造りの橋。 五十鈴川。春は桜が美しいそうです。 内宮の入口からは、広々とした風景が続き、ずっと鬱蒼としていた外宮とは印象が違う感じ。散歩してた鶏。
この鳥居をおとおりいくだせえ。という冗談はさておき、この辺から再び、伊勢神宮らしさが出てきます。 まずは、五十鈴川のほとりの御手洗場(みたらし)で手を清めます。増水している時は立ち入り禁止になります。
内宮神楽殿。家内安全などを祈願することが出来ます。 こちらが、内宮正宮。神話界の最高神、天照大御神をお祭りするところ。ここも鳥居をくぐった先は撮影禁止。正殿は遠くから屋根の部分がちょこっと見えます。ここの正殿のみ、「唯一神明造」という建築様式で建てられ、他の神社と区別しています。
こちらは内宮の新御敷地(しんみしきち)。式年遷宮は、観てみたいですけど、それにしてもご苦労なことですね。 外幣殿(げへいでん)。古い神宝類が納められています。屋根の上に並べられている丸太は、「鰹木(かつおぎ)」と言います。この建物には、6本確認で来ますね。 鰹木の数は、内宮の建物は、偶数。外宮は奇数となっています。千木の形と同じように、内宮と外宮では少しずつディテールが違ってるのです。
千木(ちぎ)に注目。内削ぎ(上辺が地面に平行)になっていますね。外宮のものと比較してみてください。 荒祭宮(あらまつりのみや)。内宮の中で最も位の高い別宮。天照大神の荒御霊を祭っています。この階段の途中には…。
ひとつのひび割れた石、「踏まぬの石」があります。ひびの形が、「人」、或いは「天」という字に見えるというので、踏んではイケナイ。参拝者が名付けたそうです。以外と知られていないようで、みんな踏んでく。私が写真を撮ってると、「なにか意味があるのですか」と質問攻め。いつの間にか沢山の人に取り囲まれて、ちょっと得意げに説明してあげた。(ガイドブックに載ってるんですけどね) 島路川にかかる、風日祈宮(かざひのみのみや)橋を渡る。風日祈宮(かざひのみのみや)。早口言葉ですかっ?神宮内のどの橋にも言えますけど、真ん中は、神様の通るところだから、歩いては行けません。 本日のベストショット。
仏教伝来以前の神社建築は、直線で構成されていますが、仏教伝来以後は、鰹木も、千木もなくなり、屋根も反り返るようになります。そして、装飾なども、どんどん豪華になって行く。私は伊勢神宮のシンプルな建築の方が好きです。もっとも、20年毎に新築しなくてはならないということで、必然なのかもしれませんけど…。 風日祈宮(かざひのみのみや)。読んで字の如く、風の神様。 「一生に一度は…」と言われるお伊勢様参り。内宮は人も多く、賑やかな感じでしたが、鬱蒼とした木々に囲まれた静寂の中で過ごした時間は、とてもスピリチュアルなものでした。一度とは言わず、二度三度、来てみたい場所です。
滝祭神(たきまつりのかみ)。こちらは、きっと、水の神様。お賽銭がなくなっちゃった。 内宮を参拝して、お腹が空いたので、まだ10時と早かったですけど、おはらい町でお昼にしました。手こね寿司と、伊勢うどんと、アサリの味噌汁が一気に味わえる、お伊勢さまスペシャル。特に、濃厚なたまり醤油をかけていただく、伊勢うどんは気に入りました。ウマいっ!私の中の日本3大うどんは、秋田の稲庭、富士吉田の吉田うどん、そしてこの、伊勢うどんに決定。
内宮を後にして、伊勢志摩スカイラインを走ります。とっても気持ちいいワインディングでした。ここは、朝熊山と書いて、「あさまやま」と読む展望台です。この「朝熊」は、アイヌ語。日の出の神様のことだそうです。ここからのご来光は、「日本の夜明け」と形容されるほど、美しいのだそうです。条件さえ揃えば、なんと富士山も見えるんだとか。 伊勢志摩スカイラインで、鳥羽市を抜け、無料化されたパールロードを走りました。気持ちよすぎて、写真撮るの忘れた。三重県の北端の志摩町に向かう道中、大王崎灯台に立ち寄ることにしました。この辺は、「東洋のニース」とか、「東海の尾道」そして「絵描きの町」とも言われています。漁港の倉庫のところに間借り。おばちゃんありがと。 大王崎の港には、干物屋さんが多い。そして灯台に至る商店街には、真珠屋さんが軒を連ねています。
こちらが、灯台へ至る道。坂道に沿って、真珠屋さんや、干物屋さんが連なる。安い!しかし、あんまり眺めていると、買わなくてはイケナイモードになってしまうので、ソソクサと歩いて行く。 大王崎の灯台。このあたりは、暗礁が多い、航海における「魔の海」ともいわれる難所で、「伊勢の神崎、国崎の鎧、波切大王なけりゃよい」とも歌われています。 こちらにも、ハマエンドウらしき花。このそばに、絵描きの像がありました。クリックしてみて。
熊野灘に突き出すこの場所は、遠州灘と、熊野灘の荒波を切り分けるように突き出していることから、波切(なきり)と言われるそうです。ここでも、地球は丸かった。 ハマダイコン。大好きな花。これをみると、私は佐渡を思い出す。 大王崎を後にして、熊野灘沿いに西へ。「越賀海岸」と表示があります。右に目を向けてみますと…。
道ばたで、いきなりヤギが草を食んでいました。現実味の無いような、あるような、よく解らない光景。凄いぞ、志摩! 志摩町の端っこの、御座岬です。白浜が続いて、あまり果てを感じないけど、いい雰囲気の海岸。ここで折り返して鳥羽方面に戻ります。 県道32号を使って伊勢に戻ろうとすると、道中大渋滞で全然動きません。ツーリングマップルには、ショートカットに便利、なんて書いていたんですけど。路肩もこんな状況ですり抜け出来ず。このまま日が暮れてしまいました。今日の宿泊地は岐阜です。東名阪を桑名東で降り、国道258号で岐阜へ。夜の10時に岐阜のホテルに到着しました。前半戦はここまで、明日は人類の宝、白川郷を目指します。つづく!
今回のツーリングで、ようやく西日本に足をのばすことが出来ました。浜名湖より西は、まったく見知らぬ土地だったのですけど、いろいろまた新しい発見がありました。海の名前すら、始めて聞くものが多かった。(地理の勉強不足ですね)漁村の風景も、落ち着いてるんだけど、東北や関東、北陸のそれとは確実に違うようにも映りました。
そして、お伊勢さん。見えないけど、神様は確実に存在しているのではないかなと思わせる、独特の雰囲気がありました。写真で見ただけでも、その雰囲気は伝わりますけど、実際にその場所の空気を感じて、呼吸しているだけで、なにか「在る」と感じられる場所です。不思議だ。ひとつひとつの建築が優れているのではなくて、全体として素晴らしい空間を形作っている、そんな印象でした。けっして厳粛なだけの神社でもなくて、リラックスして参拝できる雰囲気も意外でした。
「一生に一度はお伊勢さん」とは言いますけども、伊勢神宮だけでなく、風景も素晴らしいし、食事もおいしい、また行きたくなる場所です。
正月や夏休み、ハワイばっかり行ってないで、日本人なら一度はお伊勢様!日本に生まれて良かったと、当たり前のことに喜びを覚えることでしょう。
さて、これはまだ前半戦です。この後、白川郷編をアップすべく、現在執筆中です。乞うご期待。