01-15 白川郷(07GWその2)
今年のツーリングのテーマ、「日本の伝統的な建築を廻る旅」。前日に伊勢神宮を参拝し、翌日は故郷は駒ヶ根に向かう道中、おおいに回り道をして私の「憧れの地」、世界遺産白川郷に向かいました。合掌造りの家々のある風景もさることながら、色とりどりの可愛らしい花たちも、私も迎えてくれました。感無量…。
オマケとして、私の愛すべき故郷、駒ヶ根の「雨の風景」も紹介します。こちらも白川郷に負けず劣らず。私の心の世界遺産です。

5月5日、こどもの日。本日も快晴。先日は岐阜で一泊し、この日は関ICから、白川郷を目指して一路、東海北陸自動車道を北上します。ホントは郡上八幡なども立ち寄りたかったですけど、今回はスルー。夢にまで見た白川郷、高鳴る高鳴る。

東海北陸自動車道は、飛騨清見IC〜白川郷ICまでの区間が未開通です。よって、荘川ICで降りて、国道156号を北上して行きます。荘川は、樹齢450年の「荘川桜」、そして、おそばがおいしいことで知られています。「そばの里」という施設の巨大な水車。私のバイクがこんな小さく。(クリックしてみて) 朝9時、白川郷の入口に到着しました。早速、合掌造りの観光案内所や、お土産屋さんがお出迎え。でも、ここはほんの入口です。
庄川という川にかかる、「であい橋」という橋を渡ると、荻町合掌造り集落があります。この橋を超えると、そこはもう昔話の舞台。 山々に四方を囲まれて、交通の便が悪く、閉ざされたような土地柄故に、独自の文化が生まれ、それがずっと保存されて来た、荻町の集落。この光景自体が人類の宝物だなんて、なんと素晴らしいことでしょうか。池を覗いてみますと…。 白川郷の第一印象は、時期もそうなのかも知れないですけど、色とりどりの花が沢山咲き乱れていて、とっても長閑な印象です。冬の厳しさ故に建てられた合掌造りの家々も、とても可愛らしく思えます。ちなみに、ここは決してテーマパークではなく、実際に人々の営みがあります。住民の皆さんの迷惑にならないように…。
こちらは「幸ェ門」という民宿です。集落の中には、いくつか民宿があり、合掌造りの家に宿泊することが出来るのです。庭の雰囲気もとってもいい感じ。お食事は、囲炉裏端で。 さて、合掌造りについて説明をさせていただきます。屋根の形が、ちょうど拳をあわせたときの拳から腕が作る三角形に似ていますね。 冬になると、このあたりは数メートルの雪に埋もれてしまいます。そのため、屋根の勾配をキツくして、雪が積もりにくくなっています。内部の構造も、強風や、大雪に耐えられるように、頑丈に出来ています。
勾配のキツい屋根にすることで、屋根裏のスペースが広くなります。屋根裏は3層になっていて、うえから、「そら二階」「うえ二階」「した二階」と分けられ、養蚕や、わら仕事の仕事場として使われています。一階の居住スペースの暖炉の暖かさが、屋根裏にも届くようになっています。 茅葺き屋根の「茅」は、30年毎に全て葺き替えるそうです。この場合、この集落の家々で、助け合って作業をするそうですが、これを「結(ゆい)」制度と言います。行程は二日間、総勢200人で効率よく行うんだそうです。 もちろん、木造建築なので、火に弱いので、「火の番廻り」という当番を作って、一日4回、集落の防火に気を配っているそうです。秋になると、防火訓練で、集落にある放水銃で一斉に放水する様子が見れます。(観光ポスターなどで、有名な光景ですね。)どれか一軒でも、火災が起こると、全ての消火栓が開いて、村中に放水されるんだそうです。
歩きタバコは絶対にやめましょう。
山門と、鐘楼が一緒になった茅葺き屋根付き鐘楼門が特徴的な、明善寺。浄土真宗のお寺で、内部は郷土館として解放されています。 茅の補修をしているおじさん。 5月の始めということで、桜は去っても、白川郷には様々の花が咲きおごっておりました。ここからしばらく、白川郷の花の写真をどうぞ。もっと花の名前に詳しければなあと、旅をしてるといつも思う。
花の情報求むその1 花の情報求むその2(八重咲きの山吹に似てるような…) 花の情報求むその3
花の情報求むその4…無責任なHPになってしまった。勉強します。 今日は子どもの日、ということで、鯉のぼりが掲げられてましたが、あいにく風がなくて…。 ちなみに、秋にはこのあたりはコスモスが咲き乱れます。秋の白川郷、そしてライトアップされた冬の白川郷の姿なども見てみたいと思います。
これは、一重の山吹ですね。 集落の歩道沿いの用水路の中には、ニジマスが悠々と泳いでいました。 高床式?の倉庫。しっかり屋根が合掌造り。
早乙女姿で農作業をしているおばさん。「早乙女」とはズバリ、農作業をする女性のこと。5月下旬に田植え祭りという行事があり、菖蒲の花と、早乙女の美しい共演が見られます。 レタリングがモダンですねー。「レンタルサイクル手塚」
世界遺産としての白川郷のお話を少し。白川郷は1995年12月9日にユネスコの世界文化遺産に登録されました。文化遺産は、現在日本に11カ所。自然遺産は3カ所。 つまり、日本人だけでなく、世界中の人が守らなくてはならない、地球のたからものです。現在、富士山を世界遺産にするため、山梨県が頑張ってますね。世界遺産について詳しくはこちら。 私が「白川郷の荒井注」と名付けたネコ。その理由はクリックしてみて。
「ジス・イズ・ア・ペン」「なんだバカやろー」
スノーフレークです。別名スズランズイセン。大好きです。可愛すぎます。誰が作ったんだろう、こんな可愛らしい花。 茅の倉庫もしっかり茅葺き。ちなみに葺き替えの際、必要な茅は、一軒につき、およそ1万束。4トントラック20台分だそうです。 花の情報求むその5
花の情報求むその6 さて、これから白川郷の全体像を見るために、展望台に登ります。展望台と言っても、かつて武士の居城だった小高い丘です。絶好の撮影ポイントです。 こちらがその展望台。荻町城跡展望台といいます。絵はがきなどで目にしたことのある光景が今、目の前に…!
これが、白川郷の全貌です。ここに来て始めて、「ああ、白川郷をついに見てしまったんだ」という実感が湧きました。 このHPで、なんども語られるセリフ。また語らせていただきます。「日本はやっぱりいい国だ!」旅先でこういう風景を見ると、いよいよ都会が嫌いになります。 こちらは江戸の中期に建てられた、最も古い合掌造りの家屋、和田家の蔵です。内部を見学することも出来ます。
さて、お腹もすいたところで、お昼にします。せっかくですから、飛騨牛を食べてみようと思いました。入口が立派な、「白水園」というお店に吸い込まれました。 このお店は、合掌造りの民家を移築したものです。内部はヒンヤリと涼しく、落ち着いた雰囲気の中でお食事が出来ます。 奮発して、飛騨牛霜降肉石焼き御膳3,000円也を注文。ズズーイ。ブッチャーも大喜びの血のしたたる…ステーキ!その様子はクリックで拡大。ああ、幸せ。おいしゅうございました。
レトロな消火栓を発見。可愛い。余談ですけど、東海北陸道が白川郷まで開通してしまうと、この白川郷へのアクセスが便利になりますけど、それでホントにいいんだろうか…。 さて、午後になって、観光バスなどが着々と押し寄せてきて、人けも多くなってきたので、私は退散することにしました。ここからは旅のパートナーができました。さるぼぼの「ボボ・ブラジルくん」です。わーいわーいと喜んでるようです。白川郷の北に、五箇山という合掌造りの集落もありますが、こちらはまたの機会に…。
白川郷からは高山経由で長野は駒ヶ根を目指そうと思ったのですけど、白川郷から東へ向かう国道360号は通行止めでした。休日などの観光シーズンにはよくあることだそうです。仕方なしに荘川まで引き返して、東海北陸道に再び乗っかり、飛騨清見から、新しく出来た中部縦貫道で高山の西まで一気に走ります。しかし、高山市街に向かう道路は大渋滞。高山市街の手前、国道41号から県道に入って美女峠を経由していくことにしました。道中、飛騨川に鯉のぼりの群れ。 美女峠からは延々と国道361号、通称木曽街道を木曽に向かって走ります。単調な風景が続いて、眠くなるのを我慢しながら、峠をいくつか超える長い道のり…。 木曽街道は長野県に入ってしばらく走ると、中山道(国道19号)にぶつかって終了。ちょっと北に行くと、道の駅日儀木曽駒高原があります。花桃満開。白川郷から、ほとんど一気に走ってきてクタクタでしたが、花桃見ると、ふるさと長野の春を感じて、気持ちがリフレッシュしました。この先で再び国道361(権兵衛街道)に乗っかって、権兵衛トンネルで伊那〜駒ヶ根と繋いで、駒ヶ根の生家へ。これにて本日の旅は終了。家の両親も、駒ヶ根に来ておりました。旅から帰ると親戚や家族が待ってるなんて、最高です。お土産は、「赤福」に、日本酒「おかげさま」。
翌日は、あいにくの雨でしたが、私の心の世界遺産、雨の駒ヶ根の風景をご紹介。雨の日じゃないと撮れない写真だってあるんです。 このHPに再び登場、光前寺のしだれ桜ももうほとんど散ってました。雨の駒ヶ根高原は、ホントに人が少なくて、寂しい。 花の情報求むその7
花の情報求むその8 ♪小碓の皇子の木の下に
憩い給いし神杉の  
♪神さびませる美女ヶ森
不動の滝の霧の間に
♪光りそめけん光前寺
…これ、私の駒ヶ根時代の母校、赤穂東小学校の校歌です。歌詞が難しいでしょ。ちなみに駒ヶ根市にある赤穂小学校、赤穂東小学校、赤穂中学校、そして赤穂南小学校。これらはみんな校歌が同じだそうです。名曲です。
霊犬早太郎も、寒そうだ。 だあれもいない駒ヶ根高原を一人歩く。雨の道路の写真は、光の写り込みなどで、情報量が多くなるんですよ。
自然の作り出した芸術。 なにを隠そう、私は丸ポストマニアなのです。駒ヶ根の古い市役所の跡にある古ポスト。 こちらは駒が池の近くにあった丸ポスト。「高原の風ポスト」と命名されていました。日本丸ポスト協会なんてあるんですね。
さて、恒例駒ヶ根のカツ丼。今回は駒ヶ根高原は、「あるぺん」のカツ丼。見た目、もっとギッシリ感が欲しいところ。ご飯が見えない感じに。味は、これはこれでいいのだけど、ちょっと肉の「ジュワッ」とした感じが足りないかな。(ごめんなさいね。カツ丼にはうるさいんです。) こちらは大人気の「ガロ」。いつもは沢山の人が並んでるのに、今日は流石にさびしいですね。このお店は味も評判なのですけど、なにより、その量が半端じゃないので有名です。
きっと食べ切れないから入ったことがないですけど、いつか…。
ついでに、私のカツ丼の原点であり、基準であり、指標である、駒ヶ根駅前の「精養軒」を覗いてみます。この日はお休みでした。精養軒のカツ丼を食べたい人は、事前に連絡して休みかどうか、確認しましょう。
駒ヶ根の伯父サンは、多趣味で、手打ちそばも打ちます。行く度にごちそうしてくれるんですけど、毎回その腕が上がっている感じがします。 翌日は、駒ヶ根を後にして、杖突峠を超えて自宅まで「出勤」です。杖突峠で、諏訪湖に向かって、「姫様〜!」と叫ぶのをお忘れなく。
こうして、伊勢神宮、白川郷と、日本の建築をめぐる旅は、無事に終了しました。今回の走行ルートを繋いでみると…。
なんか、北海道っぽいカタチになりましたでしょう。実は、今回のツーリング計画は、「本州を使って、北海道を描こう」という、ブルガリアの芸術家、クリストも真っ青の「梱包」をやろうというのが発端でもありました。予想外のルート変更で、大分いびつになりましたけど…。
日本人の心の拠り所であり、「一生に一度は」と憧れる地である伊勢神宮、そして、今もそこに営みがある、世界の宝物である合掌造りの集落、白川郷。
もちろん、そこに行きつく間での過程、その全てが、愛しい思い出となりました。
長い道のりで、始めて走る道が多かったので、予定通りにうまく行かない事だってありましたが、その分、想定外の光景に出会ったり、人との何気ない交流があったりして、人生のようだ。一人旅って、だからやめられないんだ。
そんなこんなで、付き合い悪くてすみません。

お伊勢様では、駒ヶ根のばあちゃんの分も、お祈りしてきました。
去年じいちゃんがいなくなって、いままで気の強かったばあちゃん、ちょっと寂しそうなので、これからも元気でいて欲しいのです。赤福を美味しそうに食べてくれた。(そのときは、赤福が消費期限を偽装しているなんて、思いもしませんでした。)もちろん、親戚家族全員の健康と幸福を祈ってきました。
白川郷は、ありがちな感想ですけど、「ここだけ時間の流れが違う」という一文が見事に当てはまってしまう場所でした。私も含めて観光に来ている人たちと、白川郷の集落に暮らす人々の間に、時間の壁が存在しているのを感じました。

私たち、もっとゆっくり呼吸して、足下に咲いてる花にいちいち感動しながら歩くくらいのペースで、ゆっくり生きてもいいんじゃないかなぁ。

日本の伝統建築を廻る旅、次回は遠野の「曲がり家」を紹介したいと思います。