私は縁側に腰かけ、煙草を吸って、ひとかたならず満足であった。神は、在分を、幸福な男だと思った。悲しみは、金を出しても買え、という言葉が在る。青空は牢屋の窓から見た時に最も美しい、とか。感謝である。この薔薇の生きて在る限り、私は心の王者だと、一瞬思った。
「善蔵を思う」
東京八景をあげる上で、絶対に外せないのが、三鷹は玉川上水の桜、でございます。三鷹といえば太宰治が昭和14年9月より、昭和23年6月玉川上水にて情死するまで過ごし(疎開していた時期は除く)、中期から後期の名作を生み出していった場所です。
そして私にとっても少なからず、思い出のある場所です。
さて、太宰文学を愛する方々ならば、きっと桜桃忌(6月19日)に禅林寺、玉川上水と、訪れている事と思いますが、春の玉川上水の表情は、太宰中期の、快活な作品群の中の、今も色褪せずに血がかよっている数々の言葉がふと浮かぶような、あたたかいものです。そんな春の玉川上水の風景と、春の禅林寺の風景を、私の好きな太宰の言葉を交えながら紹介いたします。
(写真は玉川上水と太宰。昭和23年田村茂氏撮影)
↑写真をクリックすると拡大します。(キャプション付きです。)
↑地図上の番号をクリックするとその地点の写真が見られます。
ここは東京市外であるが、すぐ近くの井の頭公園も、東京名所の一つに数えられているのだから、この武蔵野の夕日を東京八景の中に加入させたって、さしつかえない。あと七景を決定しようと、私は自分の、胸の中のアルバムを繰ってみた。しかしこの場合、芸術になるのは、東京の風景でなかった。風景の中の私であった。芸術が私を欺いたのか。私が芸術を欺いたのか。結論。芸術は、私である。
「東京八景」
TOPに戻る